パラカツ映画感想
パラカツ映画を見に行った感想です。
念のため、俺はパラのおたくでカツは未視聴です。
CGライブがすごい
従来のパラのCGライブって(おそらく意図的に)手足の肉感がオミットされているんだけど、今回の映画ではカツに寄せているのかターゲット層の違いか、かなりリアルに、しなやかかつ柔らかみのある造形になっていて驚いた。脚の肉感が顕著で特に年長組のそふぃなんかはここまでセクシーでいいの!?って心配がよぎるくらいだった。
思ったより抑制が効いていた
視聴前はもっとオタクの方をガン見してつくった、ミームとか名言みたいなものをゴリゴリに擦り倒したこってり映画かと思っていた。それはそれで楽しくはあるんだけどやっぱり陳腐化は避けられないよな~とかアホな心配をしていたのが本当に無意味だった。
小学6年生とか崖登りとか定番ネタは拾っていたけどそこまでくどくなく、想像以上に未来志向というか明るく軽快なつくりが印象的だった。
その分?EDのカットにおたくが好きなネタが突っ込まれていてよかった。
多分俺は新条ひなきが好きだと思う
わかんないけど多分そうだと思う。かなり好きな感じがする。
白玉みかんが全カット可愛くてすごい
ここ数年めきめきみかんのことが好きになっているので、本当に全カット可愛くてびっくりしちゃった。
作画もCGも大変グッドでした。
Chica×Chicaはよい
よいです。
さよならだけどさよならじゃない
急にアイドルタイムのイズムが放り込まないでください。時系列的にアイドルタイムの前かなと思って見てたけどいずれにせよかなり文脈があるよね。
最後に
久しぶりに声を聞いてすごく懐かしい気持ちになった一方で、感傷に浸りきる感じでなく、あくまで前向きさが強く印象に残った。
マジで合同ライブ行きたいので明日アニメイトに行くけど枯れてる気しかしません。
我々はなぜ露悪をしてしまうのか
はじめに
露悪・冷笑・逆張り中毒者の皆さん、こんにちは。露悪・冷笑・逆張り中毒者のぷりこと申します。
皆さんは過去の自身の言動(露悪ムーブメント)により、己の名誉が棄損されることに日々怯えながら生活されていることと思います。
今日は、我々が露悪ムーブメントをしてしまうメカニズムを紐解き、露悪の無駄打ちによる無意味なリスク上昇に備えていきましょう。
今回は、露悪ムーブメントを概ね「非倫理的言動を、それが非倫理的であると知りながら実行してしまうこと」と定義し、それらが表出しやすい状況を大きく2つのケースに分けて、その傾向と対策を考えていきます。
ケース1『過剰なレトリック』
- 傾向
まず最初に取り上げるのは、注目を引くため、インパクトのある言葉を使おうとするがあまり露悪表現に陥るケースです。いわゆる「オタク特有の誇張表現」の延長線上にあり(余談ですが、この表現自体がまさに露悪に片足を突っ込んだ状態にあります。過度の属性化+侮蔑的文脈での使用)、比較的にオープンな場で行われることの多い露悪です。
- 対策
そんなことは、やめよう
どう考えても、そんなことはやめましょう。特にこのような露悪は、露悪そのものを目的としないにも関わらず、露悪ポイントだけが勝手に積み重なっていく「ついで露悪」であり、非常にコストパフォーマンスが悪いです。
インターネットに跋扈する誇大表現に惑わされず、"生"の言葉で表現することを心がけましょう。
ケース2『承認の儀式』
- 傾向
次に取り上げるのは、コミュニティ内で自身が承認されていることの確認として露悪表現を行うケースです。これは、あえて非倫理的、反社会的言動をとることで、本来であればコミュニティから排除されるところ、それまでの関係性等からそのような言動が許されるという体験に儀式的価値を見出し、コミュニティ内での承認を再確認するものです。相互グルーミングの一種と言えるかもしれません。
その性質上クローズドな場で行われることが多いですが、このような行為に慣れすぎ、感覚が鈍磨すると、SNS等コミュニティの周縁が曖昧な場でも行われることがあり、その場合は非常にリスクの高い行動になります。
- 対策
そんなことは、やめよう
遅くとも思春期には卒業しておくべき不健全なイニシエーションです。どうしてもやりたいときは徹底的にクローズドな場でログが残らないようにやりましょう。
おわりに
いかがでしたか?今日は露悪について調べて?みました!
この記事が皆さんのより良い露悪生活の一助となれば幸いです。
闇金ウシジマくんの好きな回
闇金ウシジマくん18巻 第180話「ヤミ金くん①」にて、ウシジマが従業員のマサルに一万円札のしまい方について講釈を垂れるシーンがある。(引用のルールとか未だによく分かっていないので画像は貼りません。)
曰く、「金が逃げねェようにユキチの頭を下にすンだよ」。
俺は、このシーンが闇金ウシジマくんの中でトップクラスに好きだ。
このシーンに出会うまで、俺は財布の中で肖像の頭が上を向くように札をしまっていた。それが"正位置"という感じがするからだ。しかし、この向きへのこだわりは、日々の生活に小さなストレスを生む。おつりをもらった時にいちいち持ち替えてしまう必要があったり、複数のお札の向きを揃えてからしまう必要があったり。別に徹底するほどのルールじゃないけど、逆位置だとなんか気持ち悪い。
そんな小さなストレスから救ってくれたのがこのシーンだ。今は何の頓着もなく、札を財布にしまうことができている。頭が上になっていれば、"正位置"だなあと思うし、下になっていれば逃がさんぞと思う。どちらの位相にも意味が生まれたことで、片方にこだわる必要がなくなったのだ。
そういうわけで、俺の財布には、ソウセキやシバサブロウ、たまにユキチとエイイチがてんでばらばらに入っている。これもウシジマくんのおかげなのだ。
俺のサブカル遍歴
俺って顔だけオタクなのでは?という疑念があり、人生を振り返ったところ顔だけオタクだった。
幼年時代
俺の記憶の一番最初に出てくるコンテンツは「おまえうまそうだな」という宮西達也さんの絵本である。詳細は覚えていないが、幼稚園で読み聞かせをしてもらい、この本がいたく気に入った俺は幼稚園の先生に図書館なるものの存在を教えてもらった。そこで両親に頼み、俺の図書館通いが始まった。これは中学生頃まで続くことになる。
ちなみに今調べたところ、この本は2003年=俺が4歳の時に刊行されたようだ。長年愛されるシリーズの第一作に早くから目をつけていたのはなかなか慧眼なのではないだろうか。
小学校時代
小学校に上がった俺だが、種々の事情により友達が少なかったこともあり、放課後の時間を持て余していた。よって、本を読むくらいしかやることがなく、この時期にたくさん本を読んだ。特に印象に残っているのは青い鳥文庫(特にはやみねかおるさんの作品)、水滸伝、ダレンシャン、星新一ショートショートなどである。あとは小1の頃背伸びして図書室で借りたデルトラクエストを読み、熱を出したことが記憶に新しい。
なお、俺の家庭は子供が小学生のうちはゲームを買い与えない方針で、結果として小学校6年間はゲーム機なしで過ごした。家族仲は現在も良好だが、この判断については、今も若干恨んでいる。また、コロコロやジャンプといった漫画週刊誌を読む文化も希薄であり、そのへんは全く通らずに卒業してしまった。
アニメは7時台のアニメは惰性で見ていた記憶がある。ゲームは買ってもらえなかったが、クレしんは禁止されていなかったので普通に見ていた。
また、弟は俺と違い友達が多く、いろいろなコンテンツを家庭に仕入れてきていたため、そこから逆輸入することもあった。大怪獣バトル(アーケードゲーム)、ポケモンカードゲームなどはその一例である。
本ばかり読んでいるいけすかないガキであったこの時代、概ね俺の逆張りの精神性が形作られたように思われる。
中学時代
中学に上がり、大きな変化が2つあった。念願のゲーム機の導入とインターネットとの邂逅である。
ゲーム機の導入については、小学生時代から「駄々をこねる」、「ゲームの害を否定する新聞記事等をスクラップし、レスバに持ち込む」などの交渉術を試してはことごとく跳ね返されてきていたが、小6の終わりごろだったか、当時受講していた進研ゼミの付録に3DSのお勉強ソフトがつくことになり、これを死蔵するのは勿体ないというという理由で寄り切りに成功した。この不毛な争いに両親も疲弊していたのであろう。
さて、念願の3DSを手に入れた俺だったが、ソフトを持っていなかったため、しばらくは顔シューティングやすれ違い伝説などのプリインストールソフトで遊んでいた。涙ぐましい。
その後、マリオカート7などを経て、俺の世代としては最遅に近い初ポケモンBW2を購入、カンストまでやり込むことになる。CS2Vめざ氷ジバコイルを乱数なしで育てたことと、月の光鈍いしっぺ返し欠伸(多分)ブラッキーで友人の伝説パをボコボコにしたことが印象深い。
時を同じくして、自宅にあったPCの操作を覚えた俺はインターネットの味を知った。特に友人の影響でニコニコ動画を見るようになり、そのどことないアングラ感に夢中になった。当時はカゲロウプロジェクトの全盛期だったと記憶しており、授業中に書いたカゲロウデイズの替え歌の歌詞を教師に没収され、クラス内で朗読されそうになったこともあった。
ニコニコ動画ではそれ以外にも東方プロジェクトにハマり、手描き劇場を手当たり次第見ていた。
また、同じようなアングラ感を求めてまとめサイトにも入り浸り、無事立派なアフィチルとなった。俺の通っていた中学では、2ch泣けるコピペを元に教師が作成したパワポを視聴覚室で見るという狂った授業があり、まとめサイトで予習していた俺は友人にwelcome to udergroundをするなどをした記憶がある。(なんかお母さんがアイス買ってくる途中に車にひかれて死んじゃったとかお母さんに悪口言ったら卵焼きがうまく焼けなくなっちゃったみたいなコピペだった。記憶が定かでないが母の日に絡めた授業だったのか?)
それ以外にPC関連では、富士通製のパソコンにプリインストールされていたラミィの大冒険2や、名作フリーゲームのイニシエダンジョンにハマっていた。ローグライクやハクスラというジャンルに対する目覚めがこの頃であった。
高校時代
ついにスマホを手にしたことで、インターネットとの距離が急接近、それと反比例するかのように読書量がガクッと落ちた。とはいえそのインターネットも、あいかわらずニコニコ動画を見るかまとめサイトを飛び越え某巨大匿名掲示板に書き込む程度のものである。
そんな中、コミックマーケットというイベントがあることを知り、東方プロジェクトの同人誌を求め東京ビッグサイトに乗り込んだ。同人誌と言えば漫画という印象だったが、小説サークルが多数あることに驚き、小説のほうが読むのに時間がかかるからコスパがいいというカスみたいな理由で小説同人誌を購入しホクホク顔で帰宅した。
所詮素人の書いた小説だろうと舐めたことを思っていた俺だが、購入した小説同人誌は予想以上に面白く、お気に入りの作者を見つけて何度かコミケに通った。
そんな状況で、おそらくC90だったと思うが、購入した作品のひとつが秘封倶楽部×プリパラのクロスオーバーものだった。この作者の作品が非常に好きだった俺は、当然のごとくプリパラを見ることを決意、数か月かけてプリパラを1期から見始め、リアタイに追いついた。追いついた頃がちょうどシュガーレス×フレンドのお披露目回あたりだったと思う。
当時アニメを見る習慣がなく、またその後も根付かなかった俺が女児アニメにこれほど夢中になった理由はよくわからない。(認めたくはないが、"普通の"アニメオタクより一気に女児アニメオタクになった方が面白くね?という逆張り精神も根底にあったのかもしれない。)しかし、プリパラにドハマりした俺は、ライブに行ったり、オンリー同人誌即売会に行ったり、挙句二次創作小説を書き始める。
そういうわけで高校時代の後半はほぼほぼプリパラのことだけやっていた。アニメをちゃんと見るという体験をしたことで、俺ってアニメ好きなのかも!と思いいわゆる深夜アニメにも手を出して見たものの、いまひとつハマりきれず次第に視聴が義務に感じられ、習慣として根付くことはなかった。
大学時代
高校卒業と同時にアイドルタイムプリパラのアニメ放送が終了し、プリティーシリーズは新シリーズプリチャンが始まった。なんとなくプリチャンに乗り切れなかった俺はプリパラの亡霊と化し、なんかくねくねしていた。幸いにもライブが定期的に開催されていたり、コラボカフェがあったりしたのでそれらで生きながらえていた。
また、調子に乗った俺は大学でプリパラ研を立ち上げた。と言っても大した活動はしておらず、俺の杜撰さで随分多くの人に迷惑をかけた。この場を借りてお詫びしたい。
このタイミングではプリティーリズムにも手を出し、ADとRLを見た。DMFは未だに何となく見ていない。AD、RLは相当面白かったからDMFも面白いのかもしれない。
プリティーシリーズ以外だと、ウマ娘にもひとしきりハマった(これもプリティーではある)。ついでに競馬にもハマった。もともとパワプロサクセス系のゲームもギャンブルもかなりハマる素質があると思っており、リリース当初は手を出すまいと思っていたのだが、友人に誘われ手を出してしまった。ウマ娘はちょうどキタサンブラックのサポカのピックアップが終わった最悪のタイミングで始めた記憶がある。馬券の方はラヴズオンリーユーが勝ったクイーンエリザベス2世Cが初めての馬券購入だったと思う。
結果として、ウマ娘にはまあまあ課金した後飽き、馬券は未だにやめられず普通にめちゃくちゃ負けている。最悪だ。
また、switchも大学入学とともに購入し、インディー系を中心にプレイした。もはや紹介するまでもない名作だが、slay the spireやHADESといったローグライトを特に好んで遊んだ。
社会人時代
アイドルランドプリパラがリリースされたものの、プレイしていない。ライブにもチケット落選したりで数回しか行けていない。熱が冷めたのか?とは言え未だに通勤中はプリパラを流すことが多いし、プリチャンもアニメは見ていないが曲が好きなのでよく聴いている。
労働に向いていなさすぎて日々の労働で疲弊し、特段新しいコンテンツに触れることもない。寝る前にswitchのパワプロを開き、手動でペナントの試合をプレイする生活を続けていたらペナントレースも4年目に突入した。
しかし、最近ようやく新しいゲームをプレイしだした。なんとなくメトロイドヴァニアがやりたくなり、エンダーリリィズをプレイしたところ、これが面白く、続けてエンダーマグノリアをプレイ。マグノリアの方でパリィの楽しさに目覚め、ナインソールを先日プレイした。一方ティアキンのようなAAAタイトルは途中で飽き、投げている。どうも俺の集中力は30~40時間程度が限界のようである。これからもインディーゲームを中心に遊んでいくことになるだろう。
終わりに
逆張りおじさんの行き着く先はどこなのだろう。今はただ、それだけが怖い。
プリパラ10周年に際して
お気持ちです。
ちなみにちょうどノンシュガー結成のあたりでリアタイ始めたので俺の歴は10周年じゃないです。
プリパラに出会って、眩しくて、自分を変えようと思って、結局変わることはできなかったけれど、「自分を変えてくれた作品」じゃなくても、その眩さは本物で、ただ目に刺さる痛みではなく温かな光がずっとあった。
応えられない俺に対しても救いを見い出させてくれた。
俺は相変わらずどうしようもないけど、これからも、どんな未来が来ても好きであり続けるんだと思う。
ありがとう、これからもよろしく。
完成してしまっているという感覚と老いの始まり
インプットができない。ここ数年ずっと言い続けていることだけれど、本を読んだり、映画を見たり、音楽を聴いたり、アニメを見たり、マンガを読んだりすることができない。慢性的な億劫さが日々を覆っていて、元来の性格以上にこの傾向が年々強くなっている。
創作物、に限らず現実にも、触れる度に心が摩耗していく。精神的に病んでいるというような難しい話でなく、単純にストレスなのだ。もう変化を望んでいない。完成しているのだ。
以前はそうではなかった。子供時代は常に物語に飢えていた。知らない世界に心躍った。でも、もうそうではないのだ。子供の脳はスポンジのようになんでも吸収するなんて言い回しがある。では、もうこれ以上液体を吸えなくなったスポンジは?それで完成だ。今まさに俺は完成している。
これは俺が完全無欠であることを意味しない。むしろ平均的な人間に比べたら欠けている部分が多すぎる。ただ、完成してしまっているという感覚があるだけだ。
もう今は何を見ても、聴いても、今あるものだけで感想を組み立てている。ただ小手先でこねくりまわしたことをわかった風に並べることしかできない。本当にただ受け入れるということは久しく、ない。
それなのに、ハイカロリーなのだ。インプットは。なにかを見たとき、聴いたとき、常に正解を探している。外ではなく内に。無意識的に組み立てた「正解」をまたこねくり回して正当化するだけの自己満足を、もはや自分の意思とは無関係に行ってしまう。
本当に気分が悪くなってきたので終わりにする。これしかできない。
ワッチャプリマジを2話まで見た感想とプリマジのテーマに関する妄想
はじめに
プリマジ2話まで見ました。今回はここまでの感想をまとめるとともに今後の展開を妄想していきます。
陽比野まつりに見るプリマジの特徴
今回の主人公の陽比野まつりは中学1年生ということで前作キラッとプリチャンの桃山みらいと同学年ではありますが頭身も上がり声もやや低めになったことでよりお姉さんになった印象です。
まつりに限ったことではありませんが今作のキャラクターデザインの特徴としてメイクアップ表現があります。プリマジではコーデチェンジ後の姿はアイシャドウやグロスの質感などがしっかりと描写されています。3DCGでも同様でこのような表現はプリティーシリーズでは異質なように思います。これは先述したようにキャラクターデザインが大人びたものになった影響もあるかと思いますがプリマジの根底にあるテーマが大いに関係しているのではないでしょうか。
自己実現のかっこよさ
以下は妄想を多分に含みますが、ここでプリマジのテーマについて考えてみたいと思います。
1話で強調されていた『かっこいい』というキーワード、これは一体何に対しての『かっこいい』でしょうか。これは自己実現のかっこよさに向けたものではないかと思います。1話の『かっこいい』は直接的にはまつりの憧れのプリマジスタ、ジェニファーへのものですが少なくとも現時点ではジェニファーこそ自己実現の象徴として描かれていますね。
『ハレ』と『ケ』
次にプリマジにおける自己実現について掘り下げてみますがその前にある概念を導入しましょう。『ハレ』と『ケ』の概念です。ぼくは民俗学の専門家ではないのでここでは『ハレ』は所謂はれの日、非日常的イベントであり『ケ』は日常であるという簡単な理解で進めていきます。
プリマジ世界における『ハレ』はプリマジスタとしてステージに上がることでしょう。つまりコーデチェンジ、ひいてはメイクアップははれの日に臨むある種の儀式なわけです。儀式というと大仰ですが今でこそ日常的に化粧をする人は多いものの古来の化粧は呪術的な側面があったわけですからあながち行き過ぎた表現でもないように思います。
この『ハレ』と『ケ』の行き来は前々作のプリパラでも見られたものです。(プリチャンは『ケ』を丁寧に描いた印象)しかし、プリマジに特有なのは一連の変身の中でメイクアップ表現が強調されていることです。プリパラではシステムという人ならざるものの手によって物理法則を無視した変身がなされます。一方プリマジでは(タントちゃんの力こそ借りるものの)化粧という極めて現実的な手法が変身に組み込まれているのです。しかも魔法(マジ)が存在するというよりファンタジックな世界観であるのにもかかわらず。
『ハレ』の自己プロデュース
これは人間である自分が、『ハレ』に臨む自分を変身させることができるという点を強調した表現に思われます。つまりプリマジにおける自己実現は自らの『ハレ』を自己プロデュースするということに他なりません。まつりを例に挙げれば普段ノリで生活している『ケ』の自分が『ハレ』たるプリマジのステージで『本気(マジ)』になることでかっこいい自分の発露を見せる、この『本気(マジ)』になる瞬間をビジュアル的にわかりやすくしたのがプリマジの変身表現なわけです。言い換えれば自らが『本気(マジ)』になることこそが自己実現であると言えます。
唐突に導入した『ハレ』と『ケ』の話をずっとしてきましたが、これに関して実は主人公陽比野まつりの名前が示唆的です。苗字の陽比野は日々のと読み替える事ができますし、名前のまつりはそのまま祭事ですね。つまり『ケ』『ハレ』です。またまつりの持ち曲「マジ・ワッチャパレード」も祭で練り歩く姿を連想させます。こういったことからやはり『ハレ』と『ケ』は意識して作られているのではないかと思います。(ここまで全て妄想です)
その他雑感
ここまでプリマジのテーマについてつらつらと妄想を書き連ねて来ましたが最後にその他感じたことを箇条書きでまとめておきます。
・魔法(マジ)によって奇跡を操れるか
魔法が存在する世界のプリマジではワッチャを集めることで魔法を行使することが可能なようです。どうやら人間(チュッピ)には無理みたいですが。意思を持つものが超常的な力を操れる可能性を秘めているということで努力は報われる等の強いメッセージ性を持たせやすい構造ですが、それは美しく分かりやすいのと同時に枷にもなり得る要素です。(プリパラでは半ば人間が起こしたような奇跡もあるが人間が力を行使したわけではない)今後どのように展開するのか、魔法(マジ)の立ち位置はどのようなものになるのか楽しみです。
・まつりとみゃむの関係性
みゃむが魔法に失敗しティーカップを割ってしまった際の殊勝な態度が気になりました。「迷惑かけたらごめんなさい」が効いているのかはたまた別の何かがあるのか……。また、2話のライブ前みゃむの「誰とでも駆け上がれる」とライブ後まつりの「みゃむちゃんとならどこまでも飛んでいけそう」の微妙なすれ違いもおそらく今後の伏線でしょう。魔法(マジ)が使えるかどうかやそもそもの種族の違いなど2人の関係性には注目していきたいところです。
・甘瓜みるきについて
語尾がだお~の所謂腹黒ピンク。みるきのキャラ設定に限らずプリマジは王道というかベタな設定が多い印象ですが更に裏があるのか背景が最も知りたいキャラクターです。